こんにちは!井上恭輔(@kyoro353)です。表題の通り、この2019年7月末を以って株式会社デプロイゲートを離れることになりました。
私の状況が少し特殊なのは、自分自身がDeployGateを開発し、立ち上げた創業メンバーの1人であるという事でしょうか。このエントリーは今までDeployGateの開発以来7年近くの長きに渡りお世話になったチームメンバーや、助けていただいた周りの多くの皆様へのご報告と、感謝をお伝えするためのものです。
いわゆる「退職エントリー」となりますので、興味のある方だけお付き合い頂ければ幸いです。(そして長いですw)
デプロイゲート誕生前夜
せっかくの機会ですし、デプロイゲートの人間として今後話す機会も無いと思いますので、今日は少し昔話をさせて頂ければ幸いです。
この写真は今から約7年前の2012年9月10日、DeployGateのリリース日の「DeployGate開発部屋」の様子です。当時は私達の古巣である株式会社ミクシィの会議室を貸し切って開発を行っていました。よく見ると仮のロゴのデザインも今とは全然違いますね。Gitのログによると最初のコミットは2012年7月12日。今でもrails new deploygate
をターミナルに打ち込んだ日の情景を良く覚えています。
当時のミクシィはSNS「mixi」の成長や売上が踊り場から下降へと転向し、赤字への転落も待ったなしという状況で、新しい事業の創出や挑戦が求められている一方で、何から初めていいのか分からない、といった手探りの状態でした。私はその前年1年間、幸運にも会社の好意で1年間シリコンバレーのスタートアップ企業に出向し渡米させて頂く機会に恵まれたのですが、帰国して出社した会社のムードがまるでお通夜のように暗く、自分の知る1年前の明るい職場の雰囲気とのギャップに大変戸惑いました。
(※私のノリがアメリカに被れてしまっただけの可能性も大いにあります)
荒削りでも完成度が未熟でも、とにかく爆速でコンセプトを形にした最小のサービス(MVP)を作ってリリースし、仮説検証をガンガン回して事業を立ち上げていく。そんな熱気とスピード感のあるスタートアップシーンをアメリカで多く体験して来た私は、同じような事業の立ち上げ方を、ミクシィのような日本の大きな会社の中でも出来ないだろうかと考えました。今でこそMVPやPoCという言葉を当たり前のように聞くようになりましたが、当時はまだ大きな企業が小さなサービスを短時間で気軽にポコポコ作っては出して試す、ということを頻繁に出来る文化や空気感では無かったので、その価値観やナレッジを伝えて周囲に理解してもらう事から始める必要がありました。
小さなチームで開発すること、何でもかんでも内製するのではなくSaaSやPaaSなど使えるものは積極的に使って「実装すること」ではなく「問題を解決する価値あるサービスを生み出すこと」や「仮設をしっかり検証して事業を育てること」を大切にすること。買える時間はどんどん買ったほうがコスパが良いこと。過去の経験や技術に囚われず、必要なら新しい技術をどんどん投入すること。このような様々な事を社内外で話して回っていたのを今でも覚えています。
最小コストで社内起業
素早い新規事業開発の必要性を説く中、新規事業創出のサポートを行うイノベーションセンターという部署が組織され「そこまで言うならモデルケースとして自分で新規事業をやってみてよ!」という話が振られました。私を含め起業経験など無いサラリーマンを対象にした社内起業制度、シリコンバレー被れのその手法でお手本を見せて見ろという話です。私は社内外の友人や先輩後輩、同僚などにアイデアの相談に乗ってもらいながら、100案を超える事業計画書を書き上げました。
その中で最もユニークで面白そうで、自分たちの得意分野で、実現したら価値があり、多くの人を幸せにできそうだと感じたのが、同期入社で現在の弊社代表の藤崎らいさん(@tnj) が当時作っていたAndroidアプリの社内配信ツールを元ネタにしたDeployGateという事業案でした。
当時、海外で盛り上がっていたGithubに代表されるB2D(Business to Developer)と呼ばれる領域の開発支援系商用SaaSが日本ではあまり前例がなかったことや、mixiの時代が過ぎようとも、そこで培った開発フローやノウハウは、会社という組織の垣根を超えて多くの開発者の助けになるだろうという確信があった事なども、この事業案が自分にとって魅力的な理由になりました。何より、良くも悪くも後に続く新規事業プロジェクトのために、可能な限り「ミクシィっぽく無い」予想外の事業をやってやろうという考えがありました。その時、藤崎はすでにAndroidアプリ開発チームのプロダクトオーナーを任されることが決まっていたのですが「開発支援の仕組みを社内だけの物とせず、全世界全ての開発者に提供できれば、多くの開発チームを救うことができる。一緒に新規事業としてサービスを開発して欲しい!」とお願いした結果、彼としても自分事として興味を持ってくれ、7月から部署を移動して一緒にサービスの開発を開始することになりました。
Androidのクライアントアプリを藤崎、サーバサイドを自分が担当。Perlの会社であったミクシィでは初のRailsを採用したプロジェクトで、インフラはコストを抑えるためオートスケーリングも無いVPS、デザイナーはおらずWrapBootstrapで買ったテーマを使い、クレカの加盟店審査手続きが面倒くさく時間が無かったのでPaypalを課金手段に使用しました。どうでも良いですが今でも使われてるアップロード時の「ポコッ!」っという効果音は、当時お付き合いしていた今の妻の作曲です。
3ヶ月分の予算が割り当てられ、前半2ヶ月で開発しリリース、残りの1ヶ月で有料課金顧客を一定数獲得するのがサービス継続の条件でした。今思えば個人サービスに毛が生えたみたいな作りですが、当時は何よりも「最速でサービスを世に出して価値を問う」というのが最大の目標でした。開発者向けサービスは国境を超えると信じ、拙い語学力で英語版も最初から用意して海外発のスタートアップっぽい雰囲気を出せるように意識しました。半分はお遊びでしたが、海外風のサービス紹介動画は自分たちで撮影。あのやまもといちろう氏のブログで実名表記の上で「服がバックと被ってて保護色みたいでかっこいい」と服装を褒めて頂いたのもいい思い出です(笑)PVが気になる人は今でもDeployGateのページから見れますのでどうそ。(今より15キロくらい太ってる)
DeployGateを支えたもの
リリース後はサービスを広めるための登壇発表や営業のための企業訪問で大忙しでした。自分の足でサービスを売って歩くことがこんなに大変なのか、と痛感させられましたが、それにも増して自分たちが作ったサービスに価値を感じ、契約してくれるお客様が少しずつ増えていくことに大きな喜びを感じました。
「リリース1ヶ月の売上による撤退ルール」を知ったある大手のお客さんが「社内決裁は間に合わないけどサービス続けて欲しいから今、個人で立て替えて払うわ!」と利用料金をその場で現金で支払ってくれる、みたいな事もありました。皆様の支援のおかげで事業継続が決まり、その後、大変ありがたいことに「DeployGate」は多くの開発者の方々に使って頂けるサービスに成長しました。様々な会社のアプリ開発現場に導入され、今では大手の企業からフリーランス開発者の方まで、日本ではほぼデファクトの配信ツールと言える程にご利用頂いています。国外も含めて利用されている国と地域は100カ国を超えました。
リリース後の遍歴については、弊社代表の藤崎のエントリー「会社勤めのエンジニアが開発したサービスを買い取って独立した話」に大変良くまとめられています。立ち上げ後も脈々とサービスが成長できたのは、その時々で開発に携わったメンバーと、なにより藤崎のサービスへの強い思いと覚悟、絶え間ない努力があってこそだと本当に感心させられます。7年もの長い間、1つのサービスを信じて舵取りを続けることは並大抵のことではありません。
また、ビジネス面では当時のイノベーションセンター時代から開発以外の業務を全て支えてくれている現COOの安田さん(@kazootu)の努力と功績には頭が上がりません。ときに営業として、ときに経理として、全方位からDeployGateの事業成長を見守って支えてくれました。またインターン生時代からDeployGateの全てのフェーズの開発に携わって支えてくれた、へんてこさん(@henteko07)さんの守護神感は半端なく、彼の安定した人柄とナレッジ&開発パフォーマンスが、DeployGateが7年もの間、ちゃんと使い続けられるサービスを提供できた理由だと思っています。
私はDeployGateを作り始めた1年後に別の事業立ち上げを行うためにプロジェクトを一度離れ、その後結婚を期に妻の働くアメリカへ渡米するためにミクシィを退職しました。渡米後、米国でクックパッドの新規事業の立ち上げと技術責任者などを経て、ミクシィからEBOによる独立分社化を果たした株式会社デプロイゲートの4人目の社員として再合流しました。ミクシィを飛び出した4人だけの小さな会社で、まだ将来の売上も不安で不透明でしたが、何より自分を創業チームとして迎え入れてくれた事、また同じメンバーで一緒にDeployGateを開発出来ることが嬉しかったです。
それから3年半、米国を拠点にソフトウェアエンジニアとして日々の各種開発業務に携わりながら、シリコンバレーでのネットワーキングやマーケティング、ベトナムでのミートアップ開催、今では毎年の恒例行事となったデプロイ肉のオーガナイザーや、果ては自分で使う米国オフィスを物理的に自分で建築したり、iOSDC向けに深センの工場に依頼してQiワイヤレス充電器を製造したりなど、本当に自由に幅広く楽しい仕事をさせてもらいました。
米国オフィスを物理的に作った話がバズって以降、一度米国オフィスを見学してみたい!と連絡を頂くお客様が増えた事も大変嬉しかったです。米国オフィスは外見はただの民家なのですが、ときに3-40人乗りのバスで視察団が乗り付けてやってきたりと、規格外で笑うしか無いみたいな状況も発生しましたが、全般的に楽しい時を過ごさせて頂きました。隔週で開催していたTGIFやデプロイ肉を通して出会った皆様とのつながりやコミュニティは、自分の中でとても大切な存在です。私はDeployGateと、DeployGateに集う多くの温かい人達のコミュニティが大好きでした。
DeployGateを辞める理由
なぜこのタイミングでデプロイゲートを去るのか、その理由を表現する言葉は沢山ありますが「自分の担うべき事業立ち上げの仕事が終わったから」と言うのが率直な思いです。また「アクセルを踏んでより大きな会社に成長してほしい!」という願いからの決断でもあります。
DeployGateは独立して以来、ありがたい事に外部投資家無しの100%自己資金で連続黒字決算、ボーナスも出るよ!という恵まれた財務状況にあるのですが、それ故に外部要因による成長圧力というのは無く、自分たちのペースで、あくまでお客さんのデマンドに沿った事業拡大を行っているという状況でした。日々の仕事で手一杯。結果としての売上は大きく伸びているのですが、そこに戦略的に施策を打って拡大させていくスキルや余裕はありませんでした。また、社員が増えたと言っても私を含めて6名という大変小さな会社です。現状は維持できても、これから先、何か大きな事をするにはあまりにもリソースが足りません。事業をより拡大するためには、戦略的にチームを大きくし、専門的な役割を担う人を増やして会社としてのアウトプットを高めていく必要があります。
今までサービスを作り続けてきた藤崎が目指している未来を実現し、DeployGateの価値をより多くの人々に広めるため、私達は話し合って事業を今までとは違って戦略的に拡大する決断をしました。その手段として、開発の拠点を東京に集約し、専門性のあるメンバーを多く採用してチームを強化する道を選択することにしました。当然、オフィスの問題などもあるので単なるお気持ち以上の結構重たい経営判断です。
私は米国に住んでおり、時差のあるリモートの身です。チームで一緒に机を並べてガリガリと新規開発を行う事に比べて、どうしてもエンジニアと言う点でのパフォーマンスや、自分にとっての学びの環境としての限界があるなと感じました。また、事業において求められる専門性や役割が創業時から変わって来ており、自分がパフォーマンスを最大化できる部分とのギャップが開いてきたなと感じたことも理由です。
事業には様々なフェーズがあります。事業を立ち上げるとき、いわゆる0→1を担うスキルセットと、立ち上がった事業を大きく拡大させる1→100のためのスキルセットは、個人的にはやはり全然違うように感じます。(たまに両方持ってる人がいて、ほんとに凄いなと思います)私が考えている自身のスキル的な強みは、とにかくモノづくりが大好きで、事業領域や技術分野(ハードからソフト、それこそ農業や建築まで)に限らず、企画から開発・デザイン・営業までなんとかこなして最速でプロダクトを作り、事業を立ち上げる事です。感覚的な話ではありますが、0→5?くらいのフェーズが得意でコミットする喜びを感じ、最高にパフォーマンスが発揮できる分野かなと思っています。
一方で、立ち上がった事業を拡大する1→100のフェーズで求められる、多くの人が働ける組織や環境を整備したり、迅速かつシッカリと決まった仕様を実装したり、コツコツと機能や実装を改善するといった仕事や、安定してタスクを消化していくような業務に関しては本当にポンコツで、大変苦手でどうにも上手くできない駄目人間です。
また、専門性という部分でも、拡大時に求められるスキルは違うように感じています。立ち上げ時は境界領域を含め多くの分野の知識や技術があることが役に立ちますが、進むべき方向性が見え、必要な技術や手法の目処が立った後は、その分野により特化した専門的な知識が高いパフォーマンスに繋がります。
実際にデプロイゲートに去年から参加してくれた、だるまさん(@red_fat_daruma)さんはエンジニアとして大変優秀でスキルがずば抜けて高く、組織での開発における知見やパフォーマンスの高さには本当に関心させられます。こういうスキルを持った方々に開発を担って頂ければ、DeployGateはより良いサービスに発展していく確信が持てます。
社長の藤崎は常々「メンバーが得意でやりたいことだけをやってる組織にしたい」と話しているのですが、私も完全に同じ意見です。
「DeployGate」というサービスは、今まで私が作ってきた作品の中の代表作であり、今後も人生から切り離して語ることは決して出来ません。
一方で、デプロイゲートという会社がその成長の過程で形を変え、求めるものを変化させながら大きく拡大していくことは大変喜ばしいことです。
私は、自分がデプロイゲートの事業を立ち上げに参加出来た事を誇りに思いますし、その経験やスキルが活かせる別の場所や、求めてくれる人がきっといるんじゃないかなと思っています。
自分にとっては、事業を立ち上げるという行為も含めて、1つの作品を作る過程のように感じています。今回の貴重な体験を踏まえて、これからも新しいモノづくりを続けていきたいと思っています。
毎日自分で使うサービスで、ゴハンを食べたかった
DeployGateを始めたとき、私には裏目標が1つありました。それは「毎日使うサービスを自分の手で生み出し、そのサービスが稼ぐお金でゴハンを食べたい」という夢です。
2012年当時、日本のスターアップブームの最中、様々なサービスやアプリが産まれ、そして消えていきました。中にはマネーゲームのように資金を調達して無鉄砲に溶かしたり、形だけのイグジットを決めるような事例も目撃しました。エンジニアの私にはそれらサービスが持続可能なものであると感じることが出来ず、自分でやるからには「毎日自分が使うもの」「しっかり稼いでゴハンが食べれるもの」を作りたいという強い思いがありました。
また、高専時代の各種コンテストや未踏ソフトウェア創造事業、ミクシィに入って作った各種サービスなど、今までの自分の人生において、作品を評価して頂いたり、誰かが作り上げた事業のスキームにエンジニアとして労働力を提供した対価としてお金を頂いた経験はありましたが、自分で1から作ったサービスでお金を生み出した事が無いというのが大きなコンプレックスでした。どれだけサービスを作った経験があっても、お金を作ったことが無かったからです。
サービスに対して実際に対価を頂くことは、何事にも変えられない最大の賛辞です。それはメディアやSNSで話題に上げられ言葉だけの称賛を浴びせられるよりも、何倍も価値がのあるものだと考えていました。
DeployGateはおかげさまで自分が趣味や副業のアプリ開発で毎日使うサービスになり、時を経てDeployGateが黒字化した後は、DeployGateが生み出したお金から給料を受け取り、美味しいゴハンを妻と食べれる幸せな日々を過ごすことができました。これは自分にとって、とても嬉しいことでした。
ただ、自分はその細やかな裏目標に満足感を感じてしまっていたのかもしれません。
代表の藤崎の目標はもっともっと先にありました。組織を強化してDeployGateを進化させ、多くの開発現場に届けてアプリ開発のフローをを変えたいと願っていました。その本気の姿勢を認識してからは、彼が一番仕事をやりやすいような状況を作ってあげたいなという気持ちを強く持っていました。
なので、今回は悩みや葛藤はほぼなく決断できましたし、大変気持ちよくチームを卒業させて頂きました。(長年の関わったサービスなので寂しさはありましたがw)
イスラエルで頑張ってくれているAlex, 日々の業務面で支えてくれていたまえとーさん、その他にも多くの方々への御礼は尽きません。
DeployGateチームと支えてくださった皆様に最大限の感謝をお伝えしつつ、今後の発展を心から楽しみにしています。頑張ってね!
今後について
実はまだ何も決まっていません!!!
わーい!ニートだ!!ヽ(=´▽`=)ノ
正確には、ありがたい事に色々とお話を頂いているのですが、色々見たり聞いたりして回る時間を頂いている状況です。
また、結構忙しく生きてきたのでここで少し休息を取りつつ、新しい技術の習得や、手が回っていない勉強に時間を使って「忙しくて置いてきたものを取り戻す」時間に充てようかなと思っています。ML関係の技術はフォロー出来ている自信が無いので、しっかり腰を据えてもう一度勉強したいと思っているのと、ある程度話せるようになったせいで必要性が下がって伸び悩んでいる英語や、深センと仕事をする事も最近増えてきたので中国語などの勉強にも時間を使いたいなと思っています。もちろん良いネタがあれば起業もありだなとは思っています。
加えて、これでDeployGateチームとの縁が切れるという事も無く、今後はデプロイゲート社の社外非常勤顧問を拝命し、エヴァンジェリスト的にDeployGateを広めるお手伝いをさせて頂く予定です。メアドもそのままなので、外からはある意味今までとあまり変わらない感じかもしれません。
ともあれ、何か面白いプロジェクトや私がお手伝いできる案件がありましたら、日本&アメリカ問わず気楽にご連絡ください!日本での仕事の話もオープンですし、米国での仕事は幸いにもカテゴリー制限なく働ける就労許可があります。(状況によってはサポートをお願いするかもですが最初は大丈夫)
お手伝いできそうな事を書いておくと、自分はモノづくり全般が大好きで、スタートアップや企業内における新規事業の立ち上げ、PoCや0→1フェーズを支えるのが得意です。WebのフロントエンドからiOS/Androidアプリ、バックエンドとインフラ、果てはハードウェアを設計して深センで小ロット生産するところまで、全方位的に経験があります。1人で色々出来るので、事業の初期フェーズでは便利でお役に立てると思います。
時間もできましたので、メシ行こうとかでも誘ってくれると嬉しいです。
どうぞ気軽に、TwitterやFacebookでのご連絡お待ちしております!
メールはこちらに→ kyoro@hakamastyle.net
楽しそうなお話、お待ちしております!
DeployGateで働く人、絶賛募集中です!
さて、退職エントリーで人材募集するのも変な感じですが、DeployGateは現在、エンジニアを絶賛募集中です!
前述の通り大変小規模なチームで裁量のある仕事ができます。開発支援系のサービスを作りたいなら日本では最高の職場です。リモート可で完全裁量労働のため定時も無く実質無限有給(?)、お給料もボーナスもガッツリしっかり出る良い会社です。最近は週休3日も検討中とタイムラインで見たぞ。海外のカンファレンスも必要があれば行き放題、毎週金曜日開催のTGIFでは美味しいお酒とオフィスのキッチンでメンバーが作った料理が食べられます。
ともあれ、この開発系SaaSという事業分野は、そもそも大好きな人と全然興味がない人が完璧に分かれる分野ですので、もし興味を持って頂ける人がいれば、その人には国内では可能な限り最高の環境を提供できるようにがんばります!という感じです。
DeployGateは可能性があるサービスだと思っているので、興味がある方、ぜひご応募をお待ちしております!
お付き合いいただきありがとうございました
思い入れのあるエントリーということで長々と熱が入ってしまいましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました!
これからも面白いモノづくりを続けて行こうと思っていますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします!
最後に、今まで7年間、自分とDeployGateの様々な関わりを暖かく見守り、支えてくれた妻のはとね(@hatone)さんに、感謝を伝えたいと思います。本当にどうもありがとう!
『XFLAG PARK 2019』にて個人で開発してる使い捨てNFCリストバンド決済基盤「WristPay」を本採用頂き、XFLAG TICKETの入場チケット&会場内アトラクション、GMO-PG/PSさんとのクレカ&コンビニ後払いなどを統合した総合的なイベント会場内決済サービス『ORABAND タッチ決済』の開発を行いました🎉 pic.twitter.com/WA6ggbmkmU
— 井上 恭輔 (きょろ) (@kyoro353) July 23, 2019
最近趣味で作ったもの↑貼っておきます。お仕事その他、色々お待ちしております! ♫♫♫♫